「さやか」の意味を想い入れと共に総特集!名前の由来が実に奥深い

女の子の名前9画(名前),さやか,文学的,ひらがな

個人的に「さやか」という名前には大きな想い入れがあります。

現在は30代中盤の私HAGYですが、19、20歳の頃は髪の毛もフサフサで若さに溢れていました。そんな学生時代に同棲していた女の子。その人の名前が「さやか」だったんですよね。

中高と恋愛を経験していたものの、その頃とはまた全然心持ちが違うと言いますか、人生で初めて何が何でも自分が幸せにしたいと感じたことをよく覚えています。

色々あって、その恋は破局を迎え、今ではお互いに歳を取って良い思い出となっています。先日、そんな彼女から久しぶりに連絡があり、懐かしい気持ちになりました。

そんなきっけかで、「さやか」の意味をあれこれチェックしたら、自分の元々のイメージとは方向性が少し異なっていて、調べて良かったと感じられる名前だと気づきました

今回はそんな「さやか」の意味を特集していきたいと思います。

Right Caption

ひらがな3文字の名前ってどことなく可愛らしく見えるよね。有名人だと青木さやかさんが平仮名だわ
スポンサーリンク

「さやか」の意味を知ろうと国語辞典を開いたら

まだ彼女と付き合っていた時の記憶を遡ると、たぶん私は「さわやか」をもじって「さやか」となったと理解していたと思います。言葉の響きからだと思うんですが、彼女自身もそんなことを言っていた様な気がするんですよね。

もちろん、それはそれで間違いだとは思いませんが、国語辞典を開くとひらがなの「さやか」が単語として載っていたんです。解釈の土台を考えるとすれば、絶対にそうした単語は外せません。

さやか【明か・清か】

( 形動 ) [文] ナリ 
① はっきりしているさま。明るいさま。 「月は-に照り/武蔵野 独歩」
② 音の高く澄んださま。さえて聞こえるさま。 「 -な笛の音」 「裾捌すそさばきの音最いと-に/外科室 鏡花」
[派生] -さ ( 名 )

私達が普段使いする言葉ではありません(使う方もいるかもしれませんが)。

どちらかと言えば古語として、昔の文献などによく見られる単語ですね。

こうして見てみると、私の頭にあった「さわやか」もそう的外れではないように思いますが、そもそもが「はっきりとしている」「明るい」「高く澄んでいる」などという意味であり、さわやかと捉えるならそこから派生していったと考えるのがキレイでしょう。

スポンサーリンク

文献での利用例から由来を追いかけてみた

■日本書紀 仁徳天皇紀
「秋七月に、天皇と皇后と、高台(たかどの)に居(ま)しまして避暑(あつきことをさ)りたまふ。時に毎夜(よなよな)、菟餓野(とがの)より、鹿(か)の鳴(ね)聞ゆること有り。其の声、寥亮(さやか)にして悲し。」

(旧暦)の秋であった7月に天皇と皇后が高台にて避暑していた際に、毎晩トガノという地区から鹿の鳴き声が聞こえてきており、その鳴き声が透き通るも、物悲しく寂しいという情景が描かれています。

■古今和歌集
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」

立秋の時期には秋の到来が目にははっきりと見えないけど、風の音に思わずはっと気付かされる。そんな情景が詠われています。

■源氏物語
「 山の左右より、月日の光さやかにさし出でて世を照らす。」

源氏物語の有名な言い回しです。山の左右から月と太陽の光が物凄く明るく世の中を照らすことを指しており、月は皇后を、日は帝を暗示ていたとされています。

■源氏物語
「~さやかにも見てしがな~」

こちらも源氏物語に登場する言い回しです。手紙を見ても結婚の承諾があやふやで、はっきりとした手紙が見たい(もしくは直接会いたい)という男性の気持ちを表しています。

他にも色々とあるのですが、有名どころを集めてみました。

この内、一番古いのは日本書紀で、この時代には主に音が高く澄み切っているという解釈で使われていたそうです。

「さや」というのは笹と笹が擦れる音を指しているとされ、その音のイメージが澄み切っているという形です。ちなみに、最近でも俳句などでは竹の音がこの言葉で表現されることがあります。近代俳句で私が好きなものが、石垣幸子さんの詠んだ以下の句ですね。

『夕映のさやさやさやと竹の秋』

夕方の竹の音は澄んでもいて、物悲しくもある。そんな美しさと悲しさの両面が描かれていると私は感じました。

日本書紀でもそうした両面が表現されている様に思いますが、明るさや、明瞭さの表現に派生していったと考えると、それぞれ裏側の解釈もしていきたいくなる。そんな単語が「さやか」ではないでしょうか。


Left Caption

こうやって見てみると、凄く奥深い名前に見えてくるね

こんな風に由来を追いかけてみると、辞書にある「はっきりしている」「明るい」「高く澄んだ」という意味も、ただシンプルに明るいとか、澄んでいるというだけでなく、儚げな美しさも目に浮かんできます。

名前としては、そこをネガティブに捉えるというよりも、文学的な美しさ。ここが際立った形だと私は強く感じますね。

例えば、明るい人はただただ明るいのではなく、心の中には憂いも持っているもの。そこが人らしくもあり、美しくもある。私としてはそう捉えています。

ちなみに、私の昔の彼女の「さやか」さんは、尊敬できるレベルで明るい女性でした。ただ、家の中では弱音を吐くこともあるし、泣き顔を見せることもある。その両面を含めて、実に彼女らしい名前だと改めて感じられました。

ただ「さわやか」とするよりも、より美しい解釈である。そんなイメージをリサーチを通して深められたのが個人的には非常にありがたかったです。

スポンサーリンク